「 つくりて と つなぎて 」
日々”つくる”を営む「つくりて」
そして同時に”つくる”を続ける「つなぎて」
その姿と想いを、たどりました。
”つくる”に向き合う人々が、
私たちはなぜつくるのか。
何のためにつくっているのか。
そんな答えの分からない問いを前にした時、
この映像が、小さな道標のような存在となるかもしれない。
快く協力してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
丸山 竜司
想いのこもった料理を食べるとき、私たちの心は揺れ動きます。味だけではない、芯から温まるような美味しさ、美しさを感じとることができます。私は、食を作り提供する人の眼差し、手、食材、厨房には「かみさま」がいるのではないかと思っています。作り手の想いが散りばめられた、食を提供するという空間にまるで「かみさま」がいるかのような温かい光を捉えるために、地元食材を使ったピザ屋を訪れました。栃木県塩谷町のピザ屋、神奈川県相模大野のピザ屋。こだわりと大きな想いをピザに乗せてお客さんに届け、人が食を通じて繋がる、愛ある空間がそこにあることを感じていただければと思います。
「かわいいと崩壊」は、音楽のプロモーション映像です。
周りから一目置かれているかわいい男の子のもとに、自分よりもかわいい生き物がやってくることで、男の子の
いつもの日常が崩壊していく物語が展開されます。
他者と思いが通じ合うということは、人間同士に限った話ではありません。たとえ種族が違っても、なんらかの形
で寄り添い、お互いを尊重しあうことができると私は考えています。
かわいさ以外の何もかもが違う2人が出会い、関わり合う物語を通して、今ある他者との関係や、これから生ま
れるかもしれない関わりを大切にしたいと思ってもらえたら嬉しいです。
これは、旅と選択のはなし。
ある日、不思議なコンパスを拾った。
僕はそれに導かれるように
見知らぬ土地を進んだ。
新たに広がる景色を見て
僕はやっと気づいた。
見慣れた故郷にも
確かに息づく
あの色。
旅をすることは
自分のことを
知っていくことだ。
「星空とレプリカ」というタイトルで、SFの世界観を構築し、映画の予告編を制
作しました。星空とレプリカは一見関係のない言葉ですが、比喩として重ね合わせ
ることで、新たな意味が見えてきます。
これは、夜の色が失われつつある「光」の時代に生きる双子の少女がアイデンティ
ティと向き合うストーリーです。
ひかりとあかりが高校受験を前に、言葉にできない距離感が、二人の間に膨らんで
いく。 光に埋もれる街で、あかりは突然居なくなったひかりを探し歩く中、 世紀
の大停電が起こる 。憧れと劣等感。双子だからこそ抱える悩み。そして、双子と
しての誇り。
少しでも「光」の世界観を楽しんでいただければ幸いです。
技術の進歩とともに漁の形も変化し続けています。その中で私は、「漁師という存在はこれからど
のように変化するのか」と思いこの映像を制作しました。撮影を続ける中で感じたのは、海は想
像以上に暗く、波は強く、命の危険を感じる瞬間もありました。しかし、そんな中の漁師さんの背
中は力強く、私にとって安心を与えてくれる存在でした。タイトルの「灯台」は、漁師さんの心の拠
り所である光続けるもの。そして「面影」は、時代が変わっても変わらないもの。私は、技術が進
歩し、漁のあり方が変わったとしても、変わらないものがあると思っています。それは、人が自ら
海へ向かうことです。私はその背中に勇気をもらいました。だからこそ、この映像では漁師さんの
姿を、ただひたすらにかっこよく映したいと思いました。きっと今も、誰かにとってあなたの姿は光
になっています。この映像が、そんな変わらない姿に目を向けるきっかけになれば幸いです。
情報デザインとは、
小さなはじまりが集まり、
まだ見ぬ未来を描き出す力。
人との出会い。
誰かとの会話。
何気ない共有の時間。
そんな小さな「ふれあい」の積み重ねが、
新しい発見やアイデアを生み、
やがて表現として「あふれていく」。
情報デザインコースには、
さまざまな人や考え方が集まっている。
それぞれが異なる視点を持ちながらも、
互いに関わり合い、刺激を受け合い、
新しいものを生み出している。
本映像では、写真と映像、
そして重なり合うフレームや色彩を通して、
人との関わりから生まれる創造の広がりを表現した。
「ふれあい」の先に、
どんな「あふれる」が生まれるのか。
日々誰かと出会い、学び、表現する人たちへ。
情報デザインコースで生まれる、その瞬間を届けたい。
「そうぞう」目を瞑り空想する世界。一本の鉛筆、一枚の紙から作られていく世界。
「パノラマ」目の前に広がる世界。頭の中がかたちになっていく瞬間。
この二つの言葉から発想して、架空の文房具ブランドのPVを制作しました。
こどもの頃は、絵が上手いとか下手だとかそんな事に囚われずに
無我夢中に紙に向かって描き続けていました。
あの頃の夢中さと想像力を、また思い出してほしいという
願いを映像に込めています。
没頭する眼差し、かたち創る手先、紙と鉛筆から始まる世界を
友人と一緒に模索し、選び抜いた音と共に、
「そうぞう」と「パノラマ」二つに言葉に乗せて表現しました。
2226年。
「欠けている」という概念が〝罪〟とされた全てが満ち足りた世界。
そんな世界に、たった一人。
欠けた月「みかづき」を
追い求めるハカセがいた。
変わらない朝、繰り返しの毎日、いつもの景色。私たちの日々には、見過ごしてしまうほど小さな時間が、静かに積み重なっています。『せいかつとそよかぜ』は、水が「日常のそばにある存在」であることを見つめ直した、天然水のブランドムービーです。夢中になれること、心落ち着く時間、戻ってこられる場所、誰かと共に過ごした日々。本作では、さまざまな人々の営みを俯瞰し、水の透明感や光のにじみ、ピントの揺らぎを映像全体に重ねました。水は強く語ることなく、ただそばにあり、日々の時間に静かに溶け込んでいます。何気なく過ぎていく毎日の中に、そっと風が通るような心地よさを感じていただければ幸いです。
「もがく」ということば。「現状に苦しみ、焦り、あがく」という意味をもつ。しかしこの「ことば」にはそれだけではない意味が込められていると感じた。もがいた先にどんな未来を期待しているのか。狂気的なひたむきさと未知なるワクワクを秘めている。そんな意味でこの「ことば」を捉えた。自分が幼少期から現在まで続けている“よさこい”に向き合う人のひたむきな姿勢に乗せて、自分だけの自分なりの「ことば」の解釈をこの映像で届けたい。
「もがいて、」その先に、どんな未来が待っているのか。日々何かに向き合い、もがく人へ、少しでも寄り添えるように。
無性の愛情をかけるとき、そのことばには重みがある。
ことばをかけてくれた人の感情、力、人生が乗せられている。
この重みはずっと、心と記憶に残り続ける。私の父は変わってて、デリカシーがなくて、大人っぽくなかった。過干渉の父が鬱陶しくて、普通じゃない父を周りに見て欲しくないと思っていた。でも、父は私のことを愛してないのではないか、と思ったことは一度もなかった。不器用だけど家族を一番に思い、動き、共に歩んでくれた。
「自慢の娘だよ」
私が何かを成し遂げた時も、絶望に打ちひしがれていた時も、彼はそばでこう言ってくれた。
恥ずかしくなるくらいに大袈裟なこのことばは、いつしか私の拠り所になっていた。
彼の背中が思い出される。
帰る場所がある。このことばに救われた私と、このことばを選んでくれた父の思い出をもとに、ショートフィルムを撮りました。
ことばの重み、想いを感じてください。
ことばには、想いが宿る。
あなたを想う、その気持ちが、
ことばと共に、そっとより添う。
「げんきでいますか。」という一言には、
平穏な日常を願う気持ちや、成長を見守るやさしさ、励ましや切なさ、感謝など様々な想いが重なっているように感じます。
相手の存在を大切に思い、見守り、より添う気持ちがことばを通じて形となることで、私たちは誰もが大切に想う人を持ち、同時に大切に想われていることに気づきます。それは時に、自分自身を支える力ともなります。
ことばを通して互いの気持ちを届け合い、相手の気持ちに気づく中で、ことばと共に想いがそっとより添ってゆく。その優しさと尊さに、あらためて気づかされます。
私たちの当たり前をかたちづくる「ことば」を大切にしたい。
そんな想いを込めて制作しました。
自分の輪郭は、自分ひとりではなかなか捉えることができません。それは、他者のまなざしを通して、初めて浮かび上がるものです。相手が自分を見つめ、その姿をことばで伝えてくれる行為がまなざしの痕跡となり、存在を形づくる「しるし」になります。本作では、似顔絵を「ことば」のメタファーとして扱い、描くという行為を通してその魅力を表現しました。物語の主人公は、自分の輪郭を捉えられずに苦しむ高校生です。しかし、友達から多くの似顔絵を受け取ることで、他者のまなざしに映る自分を知り、少しずつ自己が形づくられていきます。誰かを見つめ、感じ、伝えようとする行為そのものが「しるす」ことであり、残されたことばが「しるし」となります。もっと素直に、相手の目を見て、自分がみつけた相手の魅力を伝えるために。そのひとに、そのひとの美しさを知ってほしいから。このアニメーションを通して、互いにことばを伝え合う関係の尊さを届けます。
ふと立ち止まり空を見上げたとき、目の前の景色の美しさに心を奪われたとき。自然と誰かを思い出すことがあります。「あの人にも見せてあげたい」「隣で一緒に見られたらいいのに」そんな気持ちは、日常の中でふと現れるささやかで確かな想いです。そばにいなくても、ことばにして伝えられなくても、その想いは途切れることなく私たちの中に生き続けています。そしてその目に見えない想いこそが、私たちを前へと歩ませてくれる力になります。大切な人を想う気持ちは、目には見えないけれど確かにそこにあります。この映像を通して、あなたの大切な誰かを思い出す瞬間が訪れるかもしれません。そしてそれが、普段は照れくさくて伝えられない気持ちを届けるきっかけとなれば幸いです。
今回「ことばを纏う」というテーマで映像を制作をしました。
「ことばの魅力」を探るにあたって、たくさん悩みました。
過去を遡ってみると「ことば」にたくさん苦しめられたのを覚えています。ですが、それと同時にことばに救われたこともたくさんあることに気付きました。
誰かの「ことば」に救われたり、私自身の「ことば」に救われたり。
そばにいたのはいつも「ことば」で悩まされながらもいつも私に寄り添ってくれました。そして、そんな「ことば」をいつも掛けてくれたのは父さんと母さんでした。
日々の中で、様々な「ことば」を貰いました。
幼い時は分からなかったけど、その「ことば」は総じて愛であったことを知りました。
今をがむしゃらに生きる僕ら。
しかし、夢中になればなるほど、気づかないうちに不安や焦り、
苛立ちや劣等感を溜め込んでしまう。
そんなモヤモヤをふと軽くする手段のひとつが「はなす」こと。
悩みを打ち明けるわけでなくても、慰めてもらうでもなく、
いつものアイツとのくだらない会話や何気ない笑いが、
心にそっと風を通してくれる。
気づけば少し肩の力が抜けて、また前を向けるようになる。
「ことば」には、そんな心を動かす力がある。
主人公は、三人の若者たち。
それぞれ異なる領域で、葛藤を抱えながら懸命に今を生きている。
ふとした日常のなかで交わされる、ささやかなこころや笑が心を動かす。
楽曲は、鉄風東京の「know pain」。
若者の痛みをまっすぐに掬いあげたこの曲をどうしても使いたくて、
事務所に連絡して、許可をいただいた。
この映像に込めたのは、ことばが持つ、目に見えない確かな力。
そして、それに救われる瞬間の、ささやかな光。
わたしたちの生活は、ことばであふれています。友人に「おはよう」と声をかけたとき。ひとりで悩み、頭の中で考えごとをしたとき。ふと思いついたことを忘れないようにメモに書き留めたとき。日々の暮らしの中で、わたしたちは自然にことばに触れ、ことばを使っています。けれど、そのひとつひとつの機会を“ことばにしている”と意識することは、あまり多くはないのかもしれません。だからこそ、そんな日常に潜む“ことばにする”瞬間と、そこから生まれる気持ちに着目し、映像を制作しました。この作品を通して、何気ない日常の中にある“ことばにする”瞬間に立ち止まり、改めて意識することで、ことばがもつ力を感じ、わたしたちのそばにある“ことば”を大切に思っていただければ嬉しいです。そして、誰かの声としてだけではなく、ことばという概念そのものが持つ魅力にも、目を向けていただけたらと思います。
言葉にしなくても、伝わることばがある。
何もなかったよう、見えるかもしれない。
でも、
言葉では説明できない、
たくさんの感情が確かにあった。
静けさの中に息を潜めて、
触れたら消えてしまいそうなほど、
微かで、確かだった。
ふとした間に、こぼれた愛、
言いかけてやめた言葉。
語られなかったからこそ、
より深く、
より静かに、
私たちの中に息づいている。
語らないことで、語るというもの。
ことばを超えた、静けさのことば。
そこはかとなく、
あなたの赤らんだ耳が、噛み締めた唇が、潤んだ目が、言葉にならないことばを伝えてくれる。
あの時、私に想いを伝えてくれたのは、あなたの、口に出した「大丈夫」なんて言葉ではなく、
今にもこぼれ落ちそうな大きな涙だった。
綴った言葉や声に出した言葉よりも、
確かに、静かに、そして深く、胸の奥に流れていく。
きっとそれは、あなただけの美しいことば。
私が考えることばの魅力は、心がかたちとなり後世に残っていく「文字」にあります。『うつりゆくかな』は、遠い昔に生まれた文字が、かたちを変えながらも想いを未来へ受け渡していく営みに焦点を当てた映像作品です。筆で綴る手、石に刻む手、活字を組み、刷る手、そしてページをめくる指先を丁寧に追い、祈りや知恵、いまの記憶が大切な未来へ手渡される瞬間を描いています。昔の人が書いた和歌、石に彫られた跡、印刷機の鼓動、校舎に残る掲示や校歌、祖父が読む新聞、子どもが抱く絵本、古い書籍をひらく指先の動き、大切な人に宛てた手紙、短冊に込められた祈り、すべてが、ことばの痕跡です。私たちは、文字とともに生きています。消えゆくものの中に残る軌跡を見つめ、今日を未来へ手渡しています。無機質に見える文字が、人のあたたかな想いを確かに宿していることを、そっと思い出していただければ幸いです。
人の数だけ「ただいま」がある。
その時ごとに想いがある。
仕事を頑張った日、
部活で汗を流した日、
大雨に濡れた日、
夕焼けが綺麗だった日、
昔住んでいた地域に訪れる日、
久しぶりに実家へ帰省した日、
旅行から戻った日、
なんでもない日。
どんな日の帰りにも寄り添える言葉。
楽しみが待っていたり、
いつも通りの生活が広がったり。
そして、気持ちがほぐれていく。
人の数ぶんの、毎日少しずつ違う、
ONからOFFへの合図。
日々繰り返される「ただいま」は、安心感や帰る場所への愛着を積み重ね、日々の記憶になっていく。暮らしの一部となっていく。これからも続いていく。本作では、多様なシーンを重ね合わせることで、観る人のそれぞれの「ただいま」響き合うように構成した。小さな言葉がもつ優しい感情を映し出し、日常に宿る温かさを丁寧に描き出している。
ことばの魅力というテーマの中で、私は一つのことばの持つ多様性に着目いたしました。
同じ一つのことばは、日常の中の文脈によって様々な表情を見せることがあります。
この映像作品では、様々な種類の人と人との関わりから生まれる「おつかれ」ということばの持つ表情を一人称視点で映し、自分ごととして体験できる形で魅力を凝縮した作品となっています。
私は日々家族や仲間とのつながりによって支えられ、辛いとき、苦しいとき、楽しい時も共有した仲間から、常に勇気をもらっていました。そんな仲間たちと困難を乗り越え、ある時は再会し、またある時はしばしの別れを迎える際、そこには相手を思いやる労いや感謝がありました。
SNSが発展し、様々なことばが無造作に放たれてしまうこの社会で、仲間との間で紡がれるたった一つのことばが、役割や形を超えて人の心を優しく包むことができることを、作品全体を通して伝えることばの魅力といたしました。
私たちは日々を送る中で、大なり小なり心を削って生きている。そんな日々の中で、人々の間で心を照らし、癒し続ける「おつかれ」ということばの魅力が120%伝われば、嬉しく思います。