「もがく」ということば。「現状に苦しみ、焦り、あがく」という意味をもつ。しかしこの「ことば」にはそれだけではない意味が込められていると感じた。もがいた先にどんな未来を期待しているのか。狂気的なひたむきさと未知なるワクワクを秘めている。そんな意味でこの「ことば」を捉えた。自分が幼少期から現在まで続けている“よさこい”に向き合う人のひたむきな姿勢に乗せて、自分だけの自分なりの「ことば」の解釈をこの映像で届けたい。
「もがいて、」その先に、どんな未来が待っているのか。日々何かに向き合い、もがく人へ、少しでも寄り添えるように。
無性の愛情をかけるとき、そのことばには重みがある。
ことばをかけてくれた人の感情、力、人生が乗せられている。
この重みはずっと、心と記憶に残り続ける。私の父は変わってて、デリカシーがなくて、大人っぽくなかった。過干渉の父が鬱陶しくて、普通じゃない父を周りに見て欲しくないと思っていた。でも、父は私のことを愛してないのではないか、と思ったことは一度もなかった。不器用だけど家族を一番に思い、動き、共に歩んでくれた。
「自慢の娘だよ」
私が何かを成し遂げた時も、絶望に打ちひしがれていた時も、彼はそばでこう言ってくれた。
恥ずかしくなるくらいに大袈裟なこのことばは、いつしか私の拠り所になっていた。
彼の背中が思い出される。
帰る場所がある。このことばに救われた私と、このことばを選んでくれた父の思い出をもとに、ショートフィルムを撮りました。
ことばの重み、想いを感じてください。
ことばには、想いが宿る。
あなたを想う、その気持ちが、
ことばと共に、そっとより添う。
「げんきでいますか。」という一言には、
平穏な日常を願う気持ちや、成長を見守るやさしさ、励ましや切なさ、感謝など様々な想いが重なっているように感じます。
相手の存在を大切に思い、見守り、より添う気持ちがことばを通じて形となることで、私たちは誰もが大切に想う人を持ち、同時に大切に想われていることに気づきます。それは時に、自分自身を支える力ともなります。
ことばを通して互いの気持ちを届け合い、相手の気持ちに気づく中で、ことばと共に想いがそっとより添ってゆく。その優しさと尊さに、あらためて気づかされます。
私たちの当たり前をかたちづくる「ことば」を大切にしたい。
そんな想いを込めて制作しました。
自分の輪郭は、自分ひとりではなかなか捉えることができません。それは、他者のまなざしを通して、初めて浮かび上がるものです。相手が自分を見つめ、その姿をことばで伝えてくれる行為がまなざしの痕跡となり、存在を形づくる「しるし」になります。本作では、似顔絵を「ことば」のメタファーとして扱い、描くという行為を通してその魅力を表現しました。物語の主人公は、自分の輪郭を捉えられずに苦しむ高校生です。しかし、友達から多くの似顔絵を受け取ることで、他者のまなざしに映る自分を知り、少しずつ自己が形づくられていきます。誰かを見つめ、感じ、伝えようとする行為そのものが「しるす」ことであり、残されたことばが「しるし」となります。もっと素直に、相手の目を見て、自分がみつけた相手の魅力を伝えるために。そのひとに、そのひとの美しさを知ってほしいから。このアニメーションを通して、互いにことばを伝え合う関係の尊さを届けます。
ふと立ち止まり空を見上げたとき、目の前の景色の美しさに心を奪われたとき。自然と誰かを思い出すことがあります。「あの人にも見せてあげたい」「隣で一緒に見られたらいいのに」そんな気持ちは、日常の中でふと現れるささやかで確かな想いです。そばにいなくても、ことばにして伝えられなくても、その想いは途切れることなく私たちの中に生き続けています。そしてその目に見えない想いこそが、私たちを前へと歩ませてくれる力になります。大切な人を想う気持ちは、目には見えないけれど確かにそこにあります。この映像を通して、あなたの大切な誰かを思い出す瞬間が訪れるかもしれません。そしてそれが、普段は照れくさくて伝えられない気持ちを届けるきっかけとなれば幸いです。
今回「ことばを纏う」というテーマで映像を制作をしました。
「ことばの魅力」を探るにあたって、たくさん悩みました。
過去を遡ってみると「ことば」にたくさん苦しめられたのを覚えています。ですが、それと同時にことばに救われたこともたくさんあることに気付きました。
誰かの「ことば」に救われたり、私自身の「ことば」に救われたり。
そばにいたのはいつも「ことば」で悩まされながらもいつも私に寄り添ってくれました。そして、そんな「ことば」をいつも掛けてくれたのは父さんと母さんでした。
日々の中で、様々な「ことば」を貰いました。
幼い時は分からなかったけど、その「ことば」は総じて愛であったことを知りました。
今をがむしゃらに生きる僕ら。
しかし、夢中になればなるほど、気づかないうちに不安や焦り、
苛立ちや劣等感を溜め込んでしまう。
そんなモヤモヤをふと軽くする手段のひとつが「はなす」こと。
悩みを打ち明けるわけでなくても、慰めてもらうでもなく、
いつものアイツとのくだらない会話や何気ない笑いが、
心にそっと風を通してくれる。
気づけば少し肩の力が抜けて、また前を向けるようになる。
「ことば」には、そんな心を動かす力がある。
主人公は、三人の若者たち。
それぞれ異なる領域で、葛藤を抱えながら懸命に今を生きている。
ふとした日常のなかで交わされる、ささやかなこころや笑が心を動かす。
楽曲は、鉄風東京の「know pain」。
若者の痛みをまっすぐに掬いあげたこの曲をどうしても使いたくて、
事務所に連絡して、許可をいただいた。
この映像に込めたのは、ことばが持つ、目に見えない確かな力。
そして、それに救われる瞬間の、ささやかな光。
わたしたちの生活は、ことばであふれています。友人に「おはよう」と声をかけたとき。ひとりで悩み、頭の中で考えごとをしたとき。ふと思いついたことを忘れないようにメモに書き留めたとき。日々の暮らしの中で、わたしたちは自然にことばに触れ、ことばを使っています。けれど、そのひとつひとつの機会を“ことばにしている”と意識することは、あまり多くはないのかもしれません。だからこそ、そんな日常に潜む“ことばにする”瞬間と、そこから生まれる気持ちに着目し、映像を制作しました。この作品を通して、何気ない日常の中にある“ことばにする”瞬間に立ち止まり、改めて意識することで、ことばがもつ力を感じ、わたしたちのそばにある“ことば”を大切に思っていただければ嬉しいです。そして、誰かの声としてだけではなく、ことばという概念そのものが持つ魅力にも、目を向けていただけたらと思います。
言葉にしなくても、伝わることばがある。
何もなかったよう、見えるかもしれない。
でも、
言葉では説明できない、
たくさんの感情が確かにあった。
静けさの中に息を潜めて、
触れたら消えてしまいそうなほど、
微かで、確かだった。
ふとした間に、こぼれた愛、
言いかけてやめた言葉。
語られなかったからこそ、
より深く、
より静かに、
私たちの中に息づいている。
語らないことで、語るというもの。
ことばを超えた、静けさのことば。
そこはかとなく、
あなたの赤らんだ耳が、噛み締めた唇が、潤んだ目が、言葉にならないことばを伝えてくれる。
あの時、私に想いを伝えてくれたのは、あなたの、口に出した「大丈夫」なんて言葉ではなく、
今にもこぼれ落ちそうな大きな涙だった。
綴った言葉や声に出した言葉よりも、
確かに、静かに、そして深く、胸の奥に流れていく。
きっとそれは、あなただけの美しいことば。
私が考えることばの魅力は、心がかたちとなり後世に残っていく「文字」にあります。『うつりゆくかな』は、遠い昔に生まれた文字が、かたちを変えながらも想いを未来へ受け渡していく営みに焦点を当てた映像作品です。筆で綴る手、石に刻む手、活字を組み、刷る手、そしてページをめくる指先を丁寧に追い、祈りや知恵、いまの記憶が大切な未来へ手渡される瞬間を描いています。昔の人が書いた和歌、石に彫られた跡、印刷機の鼓動、校舎に残る掲示や校歌、祖父が読む新聞、子どもが抱く絵本、古い書籍をひらく指先の動き、大切な人に宛てた手紙、短冊に込められた祈り、すべてが、ことばの痕跡です。私たちは、文字とともに生きています。消えゆくものの中に残る軌跡を見つめ、今日を未来へ手渡しています。無機質に見える文字が、人のあたたかな想いを確かに宿していることを、そっと思い出していただければ幸いです。
人の数だけ「ただいま」がある。
その時ごとに想いがある。
仕事を頑張った日、
部活で汗を流した日、
大雨に濡れた日、
夕焼けが綺麗だった日、
昔住んでいた地域に訪れる日、
久しぶりに実家へ帰省した日、
旅行から戻った日、
なんでもない日。
どんな日の帰りにも寄り添える言葉。
楽しみが待っていたり、
いつも通りの生活が広がったり。
そして、気持ちがほぐれていく。
人の数ぶんの、毎日少しずつ違う、
ONからOFFへの合図。
日々繰り返される「ただいま」は、安心感や帰る場所への愛着を積み重ね、日々の記憶になっていく。暮らしの一部となっていく。これからも続いていく。本作では、多様なシーンを重ね合わせることで、観る人のそれぞれの「ただいま」響き合うように構成した。小さな言葉がもつ優しい感情を映し出し、日常に宿る温かさを丁寧に描き出している。
ことばの魅力というテーマの中で、私は一つのことばの持つ多様性に着目いたしました。
同じ一つのことばは、日常の中の文脈によって様々な表情を見せることがあります。
この映像作品では、様々な種類の人と人との関わりから生まれる「おつかれ」ということばの持つ表情を一人称視点で映し、自分ごととして体験できる形で魅力を凝縮した作品となっています。
私は日々家族や仲間とのつながりによって支えられ、辛いとき、苦しいとき、楽しい時も共有した仲間から、常に勇気をもらっていました。そんな仲間たちと困難を乗り越え、ある時は再会し、またある時はしばしの別れを迎える際、そこには相手を思いやる労いや感謝がありました。
SNSが発展し、様々なことばが無造作に放たれてしまうこの社会で、仲間との間で紡がれるたった一つのことばが、役割や形を超えて人の心を優しく包むことができることを、作品全体を通して伝えることばの魅力といたしました。
私たちは日々を送る中で、大なり小なり心を削って生きている。そんな日々の中で、人々の間で心を照らし、癒し続ける「おつかれ」ということばの魅力が120%伝われば、嬉しく思います。